キャンディード ジョン・ケアード版

タブラ・ラサ tabula rasa というラテン語の言葉がある。イギリス経験論のロックが使った時がよく知られている。「人は最初タブラ・ラサ(白紙)の状態であり、人は生きて経験することで白紙に自分自身を描いていく。そうして人は人となる」そういうたとえ話で使用される。
キャンディードはラテン語で「純白」のことだ。そこから「純真」の意味も出て来る。キャンディードはタブラ・ラサの状態、つまり登場したその時はまだ人間ではない状態なのだ。
コギト・エルゴ・スム cogito ergo sum もまたラテン語で、哲学では基本となる言葉だ。デカルトの言葉「我思う故に我有り」の原語だ。方法的懐疑、試しに疑えるものは全部疑ってみようと考え、疑っている自分自身だけは疑い得ない存在だと帰結する。人は疑うことから始めて人として存在し始めるのだ。
キャンディードは南米で人の悲惨を自分の悲惨と認識し、パングロス博士の言葉を初めて疑う。パングロスの操り人形であったキャンディードはこの時、ようやく人間になったのである。


ボルテールが舞台上に登場し序曲がなり出す。彼の想像の世界が開きそこへ彼のマリオネット達が登場する。マリオネット達は、歌を歌っても、最初のうちはほとんど喋らない。みんなが饒舌になるのは老女の登場以降だ。
マリオネットで生きている間は総てが最善の世界なのだが、現実を知り、世界の悲惨を自覚する内に彼らは人となっていく。


この作品にはエルドラドという理想郷が登場する。トマスモアの「ユートピア」にしろ、プラトンの「アトランティス」にしろ、「桃源郷」にしろ、理想郷は現実を否定した世界をそこに見せてくれるものだ。現実世界を批判したものなのだ。
キャンディードがエルドラドに着いたとき、それまでの世界とは別物であることを示すかのように天空にある黄金の円環が大きく傾く。キャンディードは争いのない、悲惨のない世界が存在しうることを確信する。


共産主義の始祖の一人、マルクスは人間の本質を労働であると捉えた。人は働くことで何かを創り出し、その創り出したもので人として生きるのだと。
ラストでキャンディートとその仲間達は働き始める。キャンディードは最初にパケットに言う。「君は自分の体じゃなくて自分の作ったものを売りなさい」 迷える羊たちを荒野から救い出したキャンディードは皆が人として生きていくよう指導し自分もその一員になろうとするのである。
マリオネットは全員、人間として生き始めたのだ。