ハリポタ5

ハリー・ポッターシリーズはハリポタと略すのが通。ハリ・ポタのような中点は不要。
web で検索してみる限り、ルーナ・ラブグッドの評判は良いようだ。この小説は主人公を含めてとんでもない性格の持ち主しか出てこないのだが、彼女もまた風変わりな人物として登場している。が、主要なメンバの中で唯一性格が良い描写がなされている。
ルーナは Luna 日本語の伝統としてはルナかも知れないが、英語辞書の発音記号には長音記号が付いているのでこれでよい。(辞書至上主義)
もちろん名前が月(Luna)に関係しているからここで取り上げることになった。
彼女がルーニーと呼ばれるのは狂人、気違いの意味。小説の中でそのように叫ぶ人間の状態を考えればすぐ判るのだが、むしろ呼ぶ側がそのような状態に陥っている。僕はこれが作者のルーニーの定義なのだと考える。ルーニーと呼ぶ彼らの状態こそがルーニーなのだと思っているのだろう。
人には見えないものを見る、聞こえないものを聞く力を持ったもの同士というのは共感しあえるわけだ。ある小説を読んで誰もがとんちんかんな感想を言っている中、自分が思っていたとおりのことを言っている言説に出会った時、その言説者に近しい感情をもつだろう。特異な人間であればあるほど、その機会は失われ、その出会いは決定的なほど断ち切りがたくなる。ミクロなコミュニティはそのようにして存続されるが、マクロなコミュニティはすぐさま崩壊を始める。しかしマクロなコミュニティは人の入れ替わりにより存続される。新しい血が入らなくなったコミュニティは自壊が運命づけられることを意味する。所詮ミクロなコミュニティでも頻度が少ないだけのことで、それが誰にでもの目にとまり受け入れられる素地がなければ個体の死によって消滅が免れない。
ルーナはあの過酷な先頭の中でただ一人無傷で生還した。それは運が良いだけなのか彼女の才能を示すのかは作家の胸先三寸だが、夜の闇を月が明るく照らし出してくれるように、素晴らしい愛をまわりに振りまいてくれることを望む。この小説に望みがあるとすればそれだけなのだ。