慚愧に堪えない

裏夜食日記の部屋より。
>「慚愧の念に耐えない」とか「慚愧に堪えません」とか。「たえる」の字が違うのがなぜなのかわからない。

辞書を見ると「堪える」の項目には必ず「慚愧に堪えない」という用例が載っている。この場合の「堪えない」は連語で「〜する(感情を)おさえることができない」という意味である。辞書の用例はt大抵の場合「慚愧」が「堪えない」とくっついて用いられるものだ、ということを意味している。
「堪」と「耐」の違いは、前者は圧力のようなものを"たえる"もの、後者は粘り強く"たえる"ものという違いがある。問題に立ち戻ると、「念が耐えない」「慚愧に堪えない」と対象が違うことに気が付く。慚愧は重々しさであり、念は何度も押し寄せる波のようなもの、という違いがあるのかもしれない。

というか、僕は「慚愧の念に耐えない」という言い回しは使わないと思う。

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