「春のめざめ」再考

このエントリーもネタバレありなので、よしなに。


この作品はとても面白く、すでに3回見ていることはご覧の通り。来週また見に行くし、追加も入れるかも知れない。
1回目に見た時、とても多くの疑問が湧いた。どうしてそうなのか、理屈が判らない、納得がいかない、それがいっぱいだった。2回目の観劇までにいろいろと考えてそれらに答を出した。2回目にそれらの答を検証し、新しい疑問を見つけ、さらに新しい発見をした。3回目で残った疑問と見逃した事柄を全部見た。つもりだった。それはこれまでの考察の通り。
ただ一つだけ疑問が残っていたのが「どうしてヴェントラが彼女だったんだろう」ということだ。ヒロイン(といってもたぶん準主役)の林さんだが可愛いがごくごく普通の女の子だ。ちょっと申し訳がない書き方になるが、際立った美人でもなければポンキュッポンなスタイルでもない。確かに彼女は歌が上手く、演技に罰点を付けるようなところは無い。だが、歌は下手でもより美形、あるいは、よりスタイルの良い女性を選択する道もあったはずだと思う。どうしてそうしなかったのか?
ある女性から「普通の女の子だからこそリアリティがあっていいなと思いました」と意見を聞いた。ここで自分の非客観性に気がついた。男性視線で作品を見ていたのだ。ものを見るときには自分の性別に起因する偏見や思い込みも考慮に入れ、それを排除して考えなきゃいけない。
ヴェントラは林さんでなきゃいけなかったんだと、判った。彼女は日本の女の子の代表なのだ。ごくごく普通の日本の女の子として表われていて、そしてこの舞台はそう見せようとしている。話のつじつまがすべて合う。
先の考察でメリヒオールはアメリカ自身だと書いた。ではヴェントラやモーリッツは誰なんだ。
これが東京オリジナルキャストは完全だったのだと結論する理由である。林さんはヴェントラそのものだったのだ。