ドロウジー・シャペロン

諸元は同じ。
この作品も、どの曲も二重の解釈が可能になっているということに気がついた。「As We Stumble Along」は劇中劇&劇の主題歌なわけで、さらにもう一つ意味が(たぶん最後のが本当のもの)隠されているという作りだ。うまい。こういう作品が面白いのであって、戦争や革命で人を殺しまくる陰鬱で陰惨で誰かが死ぬことでしか感動を与えられないような邪道な作品とは一線を画すものだと思う。
たぶん、この作品って、客席で大騒ぎしながらワイワイ野次を飛ばして楽しむものなのだと思うけれど、いまいち客のノリが悪いのは単に知識が無いからだろうと思う。「『笑い』とは『知識」」だからだ。知らなきゃ面白さは判らないだろうね。哀れなお客さん達。というか、上演する側に客層を選ぶくらいのことはしてもらいたかったと思う。今日も、おばさん達は喋りまくってた。お子様が客席で泣く方がまだマシだと思う。子供は泣くことで成長するけど、おばさんは喋っても老人になるだけだから。